剧情介绍
一応短編ホラーオムニバスということでいいんだろうか。DVDで見た「ファンタスマゴリア 闇に封印された映像コレクション」のレビュー。
脚本家の小中千昭がロフトプラスワンで行った実験映画上映会「ファンタスマゴリア」の様子、小中千昭と映像プレゼンターのトークと、上映された6本の短編映画を収めたDVDだ。
普通に全篇再生すると上映された映画が連続で流れ、メニュー画面の隠しボタンを押して再生すると、上映前と上映後のトークを挟んで映画を再生して、イベントの追体験ができるという、ちょっと変わった仕様になっている。
一本目「ホームムービー」は、どこか欧米の家のパーティーの様子。
二本目「新婚旅行」は、何とも言えない変な観光施設らしきものの様子。
三本目「ブルーフィルム」は、何かの儀式のような奇妙なブルーフィルム。
四本目「心霊」は、どこかの風景と女の人の映像。
五本目「念写実験」は、念写実験の記録映像と、その時に念写したフィルムの二本立て。
六本目「残響」は唯一ストーリーのある映画。学校の映画研に昔からあった、謎の自主制作映画という体だ。
それぞれの作品の上映の前と後に、それぞれの映像を持ってきたプレゼンターが「これこれこういういきさつで手に入った変な映像なんですよ」とか、「○○が××になってるところが怖いですね」みたいな解説を入れる。みんな映像作家なので、十中八九「そういう体で自分で作った」というフェイクドキュメンタリー的な映画だと思うのだが、絶対そうは言わない。あくまで彼らは「監督」や「脚本」ではなく「プレゼンター」で、上映しているのは発掘してきた映像なのである。
そもそもどの映像にも殆ど説明的な部分が無い、かなり実験的な映画なので、解説がないと「なんだか気味の悪い映像だな」で終わってしまう物が多く、上映前後の解説が入ることでホラーフィルムとして成り立っている。
ホラーには、こういうプロレス的なところがある。
よく「実録怪談」という体の本があるが、これもどこまで本当なのかわからない。本に出来るような怖い体験談なんてそんなに集まるものなのか、体験者が本当のことを言っているのかわからないし、体験者が本当にいるのかもわからない。全部の話が創作である可能性だってあるのだ。
それでも著者はどれを創作したとか全部創作だとかは言わない。「脚色は加えたが、全て実録怪談である」と言い張る。
怪談映画を撮ったら関係者が呪われて死んだだとか、ホラー映画に実際に幽霊が写り込んでいるだとか、幽霊の声が入っているだとか、そんな噂がまことしやかに流れたりもする。
怖がらすためならなんでもやる。パッケージされた作品のみではなく、作品の前後、出来る前や出来た後の関係者のストーリーも作品の一部として恐怖を伝播する役割を担う。
下手に「実録」だとか「本当にあった」などと付くと、往々にして「本当に本物であるか」というようなことを気にして鑑賞してしまうのだが、作品にそう付いているのなら、疑うのではなく本物だと思い込んで鑑賞した方が怖いのだから、そう思って鑑賞するべきなのである──などと、見ながら思ってしまう辺り、なんとなくこう、プロレス的だなあと。
脚本家の小中千昭がロフトプラスワンで行った実験映画上映会「ファンタスマゴリア」の様子、小中千昭と映像プレゼンターのトークと、上映された6本の短編映画を収めたDVDだ。
普通に全篇再生すると上映された映画が連続で流れ、メニュー画面の隠しボタンを押して再生すると、上映前と上映後のトークを挟んで映画を再生して、イベントの追体験ができるという、ちょっと変わった仕様になっている。
一本目「ホームムービー」は、どこか欧米の家のパーティーの様子。
二本目「新婚旅行」は、何とも言えない変な観光施設らしきものの様子。
三本目「ブルーフィルム」は、何かの儀式のような奇妙なブルーフィルム。
四本目「心霊」は、どこかの風景と女の人の映像。
五本目「念写実験」は、念写実験の記録映像と、その時に念写したフィルムの二本立て。
六本目「残響」は唯一ストーリーのある映画。学校の映画研に昔からあった、謎の自主制作映画という体だ。
それぞれの作品の上映の前と後に、それぞれの映像を持ってきたプレゼンターが「これこれこういういきさつで手に入った変な映像なんですよ」とか、「○○が××になってるところが怖いですね」みたいな解説を入れる。みんな映像作家なので、十中八九「そういう体で自分で作った」というフェイクドキュメンタリー的な映画だと思うのだが、絶対そうは言わない。あくまで彼らは「監督」や「脚本」ではなく「プレゼンター」で、上映しているのは発掘してきた映像なのである。
そもそもどの映像にも殆ど説明的な部分が無い、かなり実験的な映画なので、解説がないと「なんだか気味の悪い映像だな」で終わってしまう物が多く、上映前後の解説が入ることでホラーフィルムとして成り立っている。
ホラーには、こういうプロレス的なところがある。
よく「実録怪談」という体の本があるが、これもどこまで本当なのかわからない。本に出来るような怖い体験談なんてそんなに集まるものなのか、体験者が本当のことを言っているのかわからないし、体験者が本当にいるのかもわからない。全部の話が創作である可能性だってあるのだ。
それでも著者はどれを創作したとか全部創作だとかは言わない。「脚色は加えたが、全て実録怪談である」と言い張る。
怪談映画を撮ったら関係者が呪われて死んだだとか、ホラー映画に実際に幽霊が写り込んでいるだとか、幽霊の声が入っているだとか、そんな噂がまことしやかに流れたりもする。
怖がらすためならなんでもやる。パッケージされた作品のみではなく、作品の前後、出来る前や出来た後の関係者のストーリーも作品の一部として恐怖を伝播する役割を担う。
下手に「実録」だとか「本当にあった」などと付くと、往々にして「本当に本物であるか」というようなことを気にして鑑賞してしまうのだが、作品にそう付いているのなら、疑うのではなく本物だと思い込んで鑑賞した方が怖いのだから、そう思って鑑賞するべきなのである──などと、見ながら思ってしまう辺り、なんとなくこう、プロレス的だなあと。
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