剧情介绍
プロローグ
暗く長い廊下をゆっくりとカメラが前進していく映像に、スガ秀実の著作『複製の廃墟』の書影が幾重にも折り重なる中、
監督の井土による「なぜ今、68年革命なのか?」という問いが聞こえ、それに答える?の声が続く。スガの声は次第に多重な
響きを放ちつつ、ある独特の晦渋さに包まれていく。
六八年の思想と暴力
戦後の大衆社会の出現やサルトルら実存主義の登場そしてスターリン批判以後の状況は、68年におけるニューレフトの
運動の中に、「経済学?哲学草稿」を中心とする初期マルクスの人間主義的な疎外論の隆盛をもたらしていた。その一方、
初期マルクスの思想を再検討することでフランスのルイ?アルチュセールや廣松渉は疎外論批判の地平を切り開いていた。
しかし、その疎外論批判が一般的にもニューレフト諸党派においてもまっとうに受容されることはなく、日本のジャーナ
リズムにおいて疎外論批判が受容されるのは、70年代半ばにおける柄谷行人の「マルクスその可能性の中心」を待たねば
ならなかった。
その柄谷が、68年の思想状況を振り返り、廣松やアルチュセールらの諸思想と相克する形で自身の思索を深めていった
過程を語る。
同じ頃、戦術思想の領域を模索し、直接行動によって突き進みつつあった松田政男は、それまでの活動の延長線上に、
ゲバラやファノンの第三世界論を導入する。松田はその立場から、スガの言う「68年革命」を、第三世界的な総反乱が
西欧資本主義によって沈静化させられてしまった実質的な反革命とする見解を表明し、自身の意識の最深部に潜む暴力の
問題を提示する。
映画は再び柄谷とスガの対話に戻り、暴力という問題を巡って二人の言葉の応酬が続く。
68年を批評家として通過した柄谷行人と、あくまで活動家として通過した松田政男。その思想と暴力における対立点は
スガ秀実という鏡を通して、全く異なった様相を呈していく。
マイノリティー問題の視点
津村喬を理論的支柱とするノンセクトの活動家たちによって取り組まれていた在日朝鮮人?中国人等に対する反差別闘争は、
1970年7月7日の日比谷野音における華僑青年闘争委員会による既成ニューレフトへの告発によって運動の状況を一変させた。
滋賀県草津にある津村喬の自宅を訪ねたスガ秀実は、津村に対し、当時、一人の活動家として、7?7集会から決定的な衝撃を
受けたことを打ち明ける。津村は、自分がそのマイノリティー的視点を持つに至った経緯を、自身の学生時代における中国
滞在での体験をもとに語る。さらに、当時の反差別闘争が代行主義に陥ってしまった点について二人は議論を重ねていくこと
になる。
毛沢東と身体性
津村は毛沢東主義の新たな可能性を引き出した日本における唯一人の人物だった、とスガはいう。それに対して、津村は
毛沢東の「活学活用」という言葉をあげて、当時の自らの姿勢を説明する。
毛沢東の死と文革の終焉の後、津村喬はジャーナリズムでの筆を折り、身体性に対する問題意識から気孔や太極拳の方へ
シフトしていくことになった。スガは、その津村の立場を、オウム真理教の麻原と比較し、やがて二人の対話はオウム真理教
や超能力を巡るものになっていく。
大学再編と自治空間の解体
1部冒頭で描かれた、2001年7月31日の早稲田大学サークルスペース移転阻止闘争から2年の月日が流れた。スガ秀実は、その
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